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テキスト堆積場

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完全透明人間

完全透明人間

 扉の隙間から差し込む光で目が覚めた。
 奇怪な格好の老人がこちらを覗き込んでいる。
 男は手を伸ばして鉄の扉を押し開けた。
「おお、成功だ。姿がまるで見えない、完全透明人間だ」
 老人は嬉しそうに言った。
 男は自分の体を確認した。触れるがそこに実像はない。姿見の前に立ってみるが、影すらない。
「本当に《全て》が透明なのか?」
 男は老人に尋ねた。
「ああ、もちろん。もし何かの拍子に怪我をしたとしても、血も透明だから気づかれない。強盗中に怪我をしても、なんとか逃げられるだろう」
「時間制限はないんだよな」
「ああ、この機械を使いでもしない限り透明なままだ」
 男はよしよしと頷いた。
 これならなんでもし放題、金も取り放題だ。こいつに貸しを作っておいて良かった。
「まあ、これでチャラにしてやるよ」
 男は老人の背中を叩いた。老人は卑屈な笑みを浮かべ「感謝する」と言った。当然だが、貸しをなかったことにするつもりはない。こいつを利用し続けて沢山の金を得るのだ。
 男は玄関の扉を開け外に出る。
「とりあえず、試しに誰かさらってくるか」
「くれぐれも気付かれないようにな」
 老人はそっと男の背中を押した。
 透明人間になったという事実はとても開放的にさせる。誰も男に気がつかず、やりたい放題できる。大事をなす前に、いくつかいたずらじみたことでもしてやりたい気分だ。
 丁度目の前の道路にいつものトラックが止まっている。運転手はぼーっと前を見ているだけで何をするでもない。男は彼にも金を貸していた。
 今月の利息分を払わず、何のんきしているんだ。手っ取り早い、あいつにちょっかい掛けてやろう。
 男は早まる気持ちを抑えられず、古びたマンションの階段を駆け下り、道路へと飛び出した。
 途端、停車していたそのトラックは男を目掛けて急発進した。
 当然避けられるわけもなく、男は強い衝撃と共に宙を舞った。どこが上かも分からぬうちにグシャリと着地した。全身に痛みが広がるも、どこがどうなっているのか分からない。四肢のあたりがなんだか生温かく、ところどころぬるりとした感触がある。
 停車したトラックから運転手が降りてきた。そこに慌てて出てきた老人も合流する。
「大丈夫か?」
 老人が頓珍漢な方向に声をかける。
「救急車を呼んでくれ。手足が動かないんだ、骨折したらしい。なんだか血も出ているみたいで、早くしないと死んでしまう」
 老人は首をかしげた。
「いやいや、そんな怪我をしているようには見えないが、なあ運転手さん」
「ええ、怪我をしているようには見えません」
「そりゃ、透明人間なんだから! 見えるわけないだろ!」
 男は声を振り絞って訴えた。
「早く助けてくれ!」
 老人と運転手は顔を見合わせると笑いあった。
「うまくいったな、運転手さん」
「うまくいきましたね、おじいさん」
 老人は男に近づくと、いつの間についていたのか赤いテープを彼から剥がした。
「これでもう、こいつに悩まされることはない」
「安心して生活できる」
 二人は固い握手をすると男から離れていった。
 男は誰にも見られることなく、もがきながら息絶えた。

お題「透明人間」

伊藤右貴いとうゆうき

1995年、愛知県生まれ。名古屋市立大学芸術工学部情報環境デザイン学科所属。眼鏡以外に何のアイデンティティーも持たない大学生。小林泰三森見登美彦米津玄師小林大吾トクマルシューゴが好き。
大学ではプログラミングを中心としつつ様々な分野をつまんでいる。新しい技術などに興味がある。
連絡先:urrightlab→gmail.com
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