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テキスト堆積場

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除夜の鐘

除夜の鐘

 一月二日を迎えてもなお、貴正寺の鐘は鳴り続けていた。
 この寺の住職が、今年から細分化された煩悩のために除夜の鐘を一万八回つかねばならないことを忘れていたのだ。
 途方も無い数である。住職はゴンゴンゴンゴン忙しなく鳴らし続けた。これも煩悩をなくすため、人のためだと住職は頑張った。
 三日にしてようやく近隣住民から苦情が出た。のんびりしたい年始にこうもゴンゴン鐘をつかれては堪ったものじゃない。
 近隣住民が散々文句を行って帰った後、住職はひどく悲しんだ。これだけ鐘をついてもなお、人間の欲望は無くならないのか。世界から煩悩をなくすためなら、多少の我慢は必要である。それなのに近隣住民ときたら自分のことばかり。
 住職は思いつく限りの煩悩に対し除夜の鐘をついた。
 自己中心的な近隣住民に対して鐘をつけば、その衝撃波で近隣の家々が少し傾き扉や窓が開かなくなり、不倫を繰り返す芸能人に対して鐘をつけば、その衝撃波で文春にスクープが舞い込んだ。
 歩きスマホをする若者に対して鐘をつけば、出現するポケモンが全てポッポになり、自浄作用のない会社に対して鐘をつけば、その衝撃波で電通本社の主電源が落ちた。
 鐘をつき始めて十日ほどすると、住職の前にある少年がやってきた。
「さすがにうるさくないですか?」
「何だって?!」
 鐘をつき続ける住職には少年の声が届かない。
「さすがにうるさくないですか?!」
「世界にはびこる煩悩を無くしたいのだよ!」
 少年はポカンと口を開けてこういった。
「それ、煩悩じゃないですか?!」
 住職は鐘をつく手を止めた。言葉も出なかった。
「煩悩ですよ、それ」
 寺田心にそっくりな少年はそう言い残して何処かに行ってしまった。
 住職は悩んだ。この想いが煩悩であるならば、この煩悩もまた無くさねばならない。しかし、この無くさねばならないという感情もまた煩悩である。故にこの煩悩も無くさねばならぬが、この気持ちもまた煩悩である。
 自身の中で生まれる無限に煩悩に住職は愕然とした。まるでメビウスの環のようだ。根幹を断たねばならない。しかしどうすればいいのだろう。
 目の前には丁度、鐘と撞木がある。住職はその間に頭を入れ、力一杯撞木の紐を引っ張った。
「それもまた煩悩ですよ」
 鈍い鐘の音と共に、どこからかそんな声がした。

お題「音波」

伊藤右貴いとうゆうき

1995年、愛知県生まれ。名古屋市立大学芸術工学部情報環境デザイン学科所属。眼鏡以外に何のアイデンティティーも持たない大学生。小林泰三森見登美彦米津玄師小林大吾トクマルシューゴが好き。
大学ではプログラミングを中心としつつ様々な分野をつまんでいる。新しい技術などに興味がある。
連絡先:urrightlab→gmail.com
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